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岐阜地方裁判所 昭和32年(ワ)219号 判決

岐阜市玉井町二十一番地

原告 松井三治郎

右訴訟代理人弁護士 田中喜一

東京都新宿区下落合一丁目四百三十五番地

被告 舟橋聖一

右訴訟代理人弁護士 海野普吉

右同 大野正男

右当事者間の昭和三二年(ワ)第二一九号謝罪公告損害賠償請求事件につき当裁判所は次のとおり判決する。

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一、当事者双方の申立

原告訴訟代理人は「被告は原告に対し、別紙目録記載の謝罪状を、名古屋市において発行する朝日新聞紙に一回掲載せよ。被告は原告に対し、金五十万円を支払え。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決を求め、被告訴訟代理人は主文と同旨の判決を求めた。

第二、当事者双方の主張

一、原告訴訟代理人は請求の原因として次のとおり述べた。

(一)  被告は小説作家であるが、昭和三十年六月八日から同三十一年三月十五日までの間東京都、大阪市、名古屋市等において発行する朝日新聞紙上に「白い魔魚」と題する小説(以下本件小説という)を掲載し、全国の右新聞読者に閲読させた。ところで右小説の梗概は「岐阜市元浜町にある美濃紙問屋綾瀬光一郎の店は岐阜県下に有名な老舗である。光一郎の娘竜子はこの綾瀬家に育ち、東京の大学に学び重岡という学生に好意をもつて親しく交際していた。竜子の遊学中綾瀬家は、家業振わず借財はかさみ、債権者からの取立はきびしく、繁栄した店は仮処分手続を受け、光一郎は苦悩の末病床に臥し、転落の悲哀に閉ざされた。竜子の兄富夫は店の事務員を妾として岐阜市内に囲い、店の儲を浪費し家業を顧みなかつたが、父光一郎が悲境のうちに死亡し、店が破産状態に瀕するや債権者の一人である青木という中年実業家の金力を頼み、妹竜子を青木の許に嫁がせることにより綾瀬家を再興しようとした。しかし近代的知性と行動力に富む竜子は、兄の申入れと青木の執拗な求愛を斥け、母路子の温い愛情と理解に援けられて前途ある青年重岡との愛に生きるが、そのため老舗綾瀬の店は破産し零落する。」というものであつた。

(二)  原告家は元岐阜市玉井町及び元浜町にわたり店舗を構え、なる屋号で紙問屋を営んでいたものであるが、右家業は、古く文政元年の創業にかかり、爾来原告の代に至るまで十代に亘つて栄えた岐阜県下屈指の紙問屋で、岐阜市元浜町の紙問屋といえば、原告家を指していた程の老舗であつた。しかし原告は第二次世界大戦中企業整備のため、右家業を廃止するのやむなきに至り、終戦後その再興を図つたが、種々の事情からこれを果し得ず、その後は没落の一途を辿り、借財はかさむ一方で、昭和二十八年三月頃には岐阜市元浜町所在の祖先伝来の土地家屋を売渡担保に入れるに至り、その借財は約四百万円にのぼつた。加うるに同二十九年十月頃には、土地競売の申立、家屋明渡の請求、不動産の仮差押などを受けるに至り、原告は苦悩の日々を送り世間から深い同情をよせられていた。原告の三女智子は、封建的な家庭に育ちながら、近代的な感覚をもち、自由恋愛の思想を抱くものであるが、父母の勧めにより関西方面に嫁いだところ、初恋の青年を忘れることができず、又姑との仲も悪かつたため、実家に帰り母藤子の温い愛情に支えられて自由な生活をしている。

原告の妻藤子は貞淑な女性で娘のよき理解者であり、又現に三女智子のよき相談相手として精神的な支えとなつている。

(三)  被告は昭和三十年一月頃岐阜市に来た際偶々泊り合わせた原告方に近い、いとう旅館において、同旅館女将伊藤久江や同席の芸者等から、前記原告家の由緒や変遷の過程を聞き、又原告方附近は戦災も受けず町並みは旧観のそのままであり、住む者も封建的残滓の香を止めているのを知るや、この昔ながらの生活の場と都会的進歩的な生活の場とを搦み合わせ、その中に近代的女性を躍動させることを主題とする小説を書き、読者を魅了しようと考え、爾来数回に亘つて岐阜市を訪れ、封建的な町の空気にひたり或は資料を蒐集し、その結果原告及びその家族をモデルとして選び前記(一)記載のような筋書の小説を新聞紙に掲載した。

(四)  被告が前記(三)のとおり原告を本件小説のモデルとしたことは、次のような事実からもこれを裏付けることができる。すなわち、

(1) 被告が昭和三十年一月頃岐阜を訪れた際に宿泊したいとう旅館の女将伊藤久江は、嘗つて原告に聘ばれその酒席によく侍つたことのある元芸妓であり、同旅館の当時の女中野々村しげは、元原告方の女中として永く働いていたものであつて、同旅館は本件小説の素材を集めるのに恰好の場所であつたこと。

(2) 被告が昭和三十年七月頃本件小説の挿画を担当した画家小磯良平を伴つて岐阜市を訪れ、原告の住家の内外や、附近の状景をスケツチさせ、これを同年八月十六日、同月二十日、同年九月二十一日の三回に亘り、「水ぎわの宿」「秋の手袋」の各章に挿画として掲載公表させたこと。

(3) 本件小説に登場する綾瀬家と原告家が符合乃至は類似していること。すなわち、両家の所在が岐阜市元浜町であり、その営業が共に紙問屋である点は全く一致しており、本件小説「水ぎわの宿」の章中に描写されている綾瀬家の店の構造、家の周囲の状景、支店の様子等も亦全く原告の家をそのまま写している。又「水ぎわの宿」「鵜舟」「つぼみの色」の各章中に描写されている綾瀬家の主人光一郎が紙問屋営業不振のため、債権者の請求に苦しみ、病床に臥して仮処分を受けるなどの有様は前記(二)記載のような原告の悲境と多少の相違はあつても共に紙問屋という営業に関し、経済的に苦しむ点において相似ている。更に本件小説に登場する竜子は右各章において自由恋愛の思想を抱く近代娘として描かれているし、又竜子の母路子は竜子のよき理解者であり相談相手であるように描かれているのであつて、この点において前記(二)記載のような性行の原告の三女智子及びその母藤子と小説中の母娘は根本的に一致する。

などの事実である。

(五)  前記(三)(四)記載によつて明かなとおり、被告は原告を本件小説に登場する綾瀬光一郎のモデルとしたのであり、しかも本件小説は前記(四)の(3)に述べたような小説と事実との符合乃至は類似点からみて、原告が本件小説のモデルとなつていることを、容易に想起させ得る程度の表現をとつているといえるのである。すなわち本件小説にあつては小説と実在との相似性、密着性、関連性が切断されていないのである。従つて本件小説に登場する綾瀬光一郎の境遇はそのまま原告の境遇として読者に伝えられることになるわけである。ところで本件小説中「水ぎわの宿」「鵜舟」「つぼみの色」の各章には、さきに栄えた紙問屋が主人の経営手腕の足りないところから破産状態になり、債権者からきびしい請求を受け、又店を仮処分されるような有様、店の再建ができず苦悩の末病床に身を横たえ人生を閉じるというような場面、その葬儀が仮処分のなされたままの家で取行われ、母娘が仮処分された住家で物淋しく語り合う状景等が巧に描写されている。尤も原告は前記(二)記載のとおり企業整備によりの店を閉鎖しただけで破産状態にまでは陥入つていなかつたのであり、又店の仮処分を受けるような事態にまでは立至つていなかつたし、況んや悲運のうちに人生を閉じるような境遇にあつたものではない。しかし何れにせよ右のような状景は公に知られたくない恥かしい私生活の場であり又、たとえ知つている人にも再び想い起させたくないことがらである。

(六)  原告は前述のとおり本件小説のモデルにされ、しかも前記(五)記載のような恥かしい私生活の場を小説として描写公表されたことにより社会的声価を失墜され、自己の名誉感情を著しく損われ、多大の精神的苦痛を蒙つた。

(七)  ところで、本件小説が全くの創作でなく原告をモデルにしたものである以上、本件小説において前記(五)記載のような描写をすれば之が公衆の耳目に達することにより原告の社会的声価を失墜させ、又その名誉感情を損う結果を招来するであろうことくらいは作家である被告において、相当の注意を払えば当然わかつたことであり、この点に被告の過失がある。従つて原告の蒙つた前記精神的苦痛は被告の不法行為によるものというべく、被告は原告に対し右精神的損害を賠償すると共に原告の名誉を回復する措置を採るべき義務がある。

原告は先に早稲田大学に学び会社銀行の重役や美濃紙工業組合長にも就任した経歴をもち、嘗つては二十数人の雇人を擁した岐阜県下屈指の紙問屋の経営者であつたが、戦争のため家業を犠牲にされ現在は古い建物をアパート向に改造しその経営により妻子三人と共に生活している。従つて原告の蒙つた右精神的苦痛は金五十万円を以つて慰謝さるべきである。

(八)  よつて原告は被告に対し、原告の申立第一項記載のとおり原告の名誉回復のため必要な謝罪状の掲載を求め、更に慰謝料として金五十万円の支払を求めるため本訴に及んだ。

二、被告訴訟代理人は答弁として次のように述べた。

(一)  原告の請求原因たる事実中、被告が小説作家であること、被告が昭和三十年六月八日から同三十一年三月十五日までの間、朝日新聞紙上に「白い魔魚」と題する小説を掲載したこと、被告が嘗つていとう旅館に宿泊したことがあること、被告が昭和三十年七月頃本件小説の挿画を担当した小磯良平と共に岐阜市を訪れたことは何れもこれを認めるが、その余の事実はすべてこれを争う。

(二)  原告が請求原因(一)において要約する本件小説の筋書は本件小説及び作者である被告の真意を伝えるものではない。被告は本件小説において、若い美くしい女性が古い権威と習慣に抵抗しつつ幸福を追求してゆく健康な姿を画くことによつて現代社会の世相をつぶさに描写しようとしただけであり、岐阜という特定の都市、旧家の紙問屋、その没落などということ自体を画こうとしたのではない。それはいわば舞台の背景にすぎず、本件小説において何等意味をもつものではない。

(三)  被告は昭和三十年一月頃いとう旅館に宿泊したことはない。同旅館に泊つたのはその数年前と、本件小説の執筆にかかつた後の同年七月頃である。従つて同年一月頃同旅館においてその女将や芸者等から原告家の由緒や変遷の過程を聞いたことはない。被告が本件小説の一舞台として岐阜市を選んだのは、嘗つて二回に亘つて同市を訪れたことがあり、被告方の女中が岐阜の出身で資料等の入手が容易であつたという事情があつたからである。

(四)  被告は本件小説の挿画を担当した小磯良平を指図して原告の住家の内外を描写させたことはない。被告は小磯がどこをスケツチしたか知らないし、小磯においても原告の氏名を知つてスケツチしたのではなく、単に旧家の紙問屋の家としてスケツチしたにすぎない。

(五)  本件小説はモデル小説ではない。被告は、原告はもとより原告の家族の状況など全く知らなかつたのであるから、これをモデルにするなどということはあり得ない。従つて本件小説に登場する綾瀬家と原告家との間には何の相似性、類似性、関連性もない。すなわち、

(1) 岐阜市元浜町、玉井町附近では原告家が唯一の旧家の紙問屋ではなく、同町附近には他に同様な家屋構造をもつ多数の旧い紙問屋がある。そして美濃紙問屋という手工業的企業が現代社会において衰微没落していくことを考えるのは、何も突飛な着想ではない。従つて被告はこの着想から自然の発想に従い、本件小説において綾瀬家の没落の姿を描写したまでである。

又原告の主張によれば、原告は第二次世界大戦中、企業整備のため紙問屋営業を廃止したというのであるが、本件小説の時代的背景は昭和三十年頃の世相であり、従つて原告はその頃すでに営業を廃止して十余年を経ていたことになる。このように小説と事実との間には時代的背景という重要な点における決定的な差異が存するのである。

(2) 原告は又その三女智子が本件小説の主人公竜子のモデルであると主張するが、原告の主張によるも、両者の性格、行動に何等具体的な類似性を見出すことはできないのであつて、単に自由恋愛主義者だという抽象的概念をもつて両者の同一性乃至は類似性を云々するのは余りにも粗雑である。

更に原告はその妻藤子が竜子の母路子のモデルであると主張するが、原告の主張するところからも明かなように両者の間には何等具体的な相似性は認められないのである。

(六)  以上によつて明かなとおり本件小説は原告をモデルとしたものではないから、原告の被告に対する本訴請求は失当である。

三、原告訴訟代理人は被告の右主張事実はすべてこれを争うと述べた。

第三、証拠 ≪省略≫

理由

一、被告が昭和三十年六月八日から同三十一年三月十五日までの間、東京都、大阪市、名古屋市等において発行する朝日新聞紙上に「白い魔魚」と題する新聞小説を掲載したことは当事者間に争がない。

二、証人松井藤子の証言及び原告本人の供述によれば、原告は元岐阜市玉井町及び元浜町にわたつて店舗を構えていた紙問屋の十代目の主人で、岐阜県下における屈指の紙問屋であつたが、第二次世界大戦中企業整備のため右営業を廃止し爾来終戦後に至るもその再興を果し得ず、没落の一途を辿り、借財はかさみ、昭和二十九年頃には債権者から土地家屋の仮差押を受けるなど経済的に窮迫した状態にあつたこと、原告の三女智子は二十三歳のとき一度は西宮市方面に嫁いだが、姑と折り合いが悪く結婚後二ヶ月にして実家に帰り昭和三十年当時原告やその妻藤子と共に起居していたことを認めることができる。

三、原告は本件小説が右認定のような境遇にあつた原告をモデルにして書かれたものであると主張するので、この点について検討する。

(一)  証人伊藤久江の証言及び原告証人の供述を綜合すると、伊藤久江は昭和二十一年以来原告方に程近い岐阜市元浜町において、いとう旅館を経営しているが、元は芸妓であつて原告の酒席にも屡々侍つたことがあり、又元原告方に出入していた野々村しげが、昭和三十年当時同旅館に炊事婦として稼働していたことを認めることができるのであつて、右認定事実からすれば伊藤久江が前認定のような原告家の由緒やその変遷の過程を或る程度知つていたものと推認するに難くない。そして被告がいとう旅館に宿泊したことは当事者間に争のないところである。

しかし、被告が昭和三十年一月頃同旅館に宿泊し爾来数回に亘つて岐阜市を訪れたという原告主張の事実は、遂に之を認めるに足る証拠を見出すことができず、却つて証人伊藤久江、同守山義雄の各証言及び被告本人の供述によれば、被告がいとう旅館に宿泊したのは、本件小説の執筆を終つた後のことは別として、昭和二十八、九年頃、新潮社から鵜飼見物の招待を受けたとき及び昭和三十年七月頃朝日新聞の学芸部長や画家の小磯良平等と共に岐阜を訪れたときの二回にすぎないことが認められる。従つて、被告がいとう旅館において前記二、記載のような原告家の内情を聞き本件小説の素材を蒐集し得た機会は右二回に限られるというべきである。

ところが成立に争のない乙第二号証及び証人森田正治の証言並に被告本人の供述によれば昭和三十年四、五月当時の朝日新聞朝刊小説は石川達三が執筆する「自分の穴の中で」と題するもので、これは同年六月七日終了し、次は作家川端康成が執筆する予定になつていたところ、同人が病気のため執筆不能となつたので、朝日新聞学芸部は同年五月頃急遽その次に執筆を予定されていた被告に同年六月八日からの新聞小説を執筆するよう依頼したこと、このような事情から被告は充分な構想をたてる余裕もないまま本件小説の執筆をはじめ、之を朝日新聞紙上に掲載するに至つたこと、本件小説の一舞台として岐阜市が選ばれたのは、朝日新聞学芸部の要望によるところが大きく、被告自身は、当初仙台市あたりに舞台を設定したい意向であつたこと、従つて本件小説に岐阜市を登場させることが決定されたのは、本件小説の掲載がはじめられた直前乃至は直後であつたこと等を認めることができるのであつて、これらの事実からみれば被告が昭和二十八年、九年頃すでにいとう旅館に泊つた際本件小説の蒐集をはじめていたとは認め難い。更に当然のことではあるが、前示乙第二号証によれば、被告は本件小説を朝日新聞紙上に掲載する前すでにその主人公である竜子のイメージを描いていたことが認められ、又本件小説の新聞紙掲載のはじめられた直前乃至直後に、すでに岐阜市を竜子の故郷とする構想がたてられていたこと前認定のとおりであつて、これらの事実を綜合すると、本件小説が新聞紙に掲載しはじめられた後である昭和三十年七月頃に至つてはじめて被告がいとう旅館において本件小説の素材を入手し、これを本件小説に織り込んだと認めることは到底できない。

以上を要するに被告はいとう旅館において前記二、記載のような原告家の由緒変遷の過程を知り得る機会をもつていたとはいえ、実際に之を知つて本件小説の素材にしたと認めることはできないのである。そして被告がいとう旅館以外から原告家の内情を聞知したと認めるに足る直接の証拠は全くない。

(二)  原告は被告が本件小説の挿画を担当した小磯良平をして原告の住家を描写させたことは、原告を本件小説のモデルにしたことの証左であると主張し、証人伊藤久江、同守山義雄の各証言及び原告本人の供述によれば、昭和三十年七月頃小磯良平が伊藤久江の案内で原告方を訪れ、原告家の内外の状景をスケツチし、それが同年八月十六日、同月二十日、同年九月二十一日の三回に亘り各日付の朝日新聞朝刊紙上に本件小説の挿画として掲載されたことを認めることができる。しかし証人守山義雄、同森田正治及び被告本人の供述を綜合すれば、一般に小説作家と挿画々家との間には緊密な連絡があるわけでなく、むしろ夫々の立場を尊重し、相互にその領域に介入しないことを立前としているのであつて、本件小説の場合もこの例外ではなく、小磯良平が自らの考えで旧家の紙問屋であつた原告方住家のたたずまいを描写したにすぎないことが認められる。従つて原告の右主張はすでにこの点においてこれを容れることはできない。

(三)  更に原告は小説と事実との同一性乃至は類似性を捉え、本件小説が原告をモデルにしたものと主張し、前記二、において認定した原告家の由緒、変遷の過程と、成立に争のない乙第一号証の一、二、原告家及びその附近の検証の結果とを綜合すれば、本件小説に登場する綾瀬家と実在の原告家との間には、家屋の構造並にその所在場所、家業並にその由緒、家業の衰微と経済的破綻等の点において共通乃至類似する部分のあることが認められる。しかし一方右検証の結果によれば原告家の所在する岐阜市玉井町及びこれに隣接する元浜町界隈は旧家の紙問屋が軒を並べており、又それらの家屋は戦災にも遭わず、昔ながらの面影を残し、その家屋も構造も概ね共通した点を有していることが認められる。従つて岐阜市における旧家の紙問屋を小説に登場させる以上その所在場所として玉井町、元浜町界隈が選ばれるのは至極当然のことと考えられ、家屋構造が原告家のそれと類似したものとして描写されるのも亦何等異とするに足りないといわねばならない。又、前示乙第一号証の一、二、によつて認められる本件小説中の綾瀬家の衰微する過程には何等特異なものはなく、営業不振によつて通常生ずると考えられる衰運の自然の成行が描写されているにすぎない。尚、原告の主張する人物の相似性に至つては全ての証拠によるも、これを認めることはできない。従つて右認定のような小説と事実との同一性乃至は類似性の存在にも拘らず、これらは未だ以つて本件小説が原告をモデルにしたものであることを推認せしめる根拠となすに足らない。

(四)  以上によつて明かなとおり、被告が原告を本件小説のモデルにしたことを認めるに足る直接の証拠はなく、又これを推認せしめるに足る事実を認むべき証拠もないのである。

四  よつて原告の本訴請求は爾余の争点につき判断を加えるまでもなくすでにモデルであることの立証がない点において理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条を適用し主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 小淵連 裁判官 可知鴻平 裁判官 川崎義徳)

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